ハチプロデザイン

ステッカー屋 ハチプロデザインのブログです。hachiprodesign@yahoo.co.jp

被曝による遺伝的影響の懸念という「差別と呪い」とその対抗方法について少し考えてみた。

「昔から存在し今も確かにあり近い将来にはより根深さ厄介さが露呈すると予想される差別の一種」として「被曝による遺伝影響への懸念」がある。
これは解消可能なのだろうか。ぼくは不可能と思う。
人間は生来差別的な生き物だから。
なので「差別による被害の軽減」を目指すべきと思う。

差別被害軽減方法としては、
A●『科学的観点では遺伝影響が出る確率はゼロか、もしくは天文学的に低い確率であることの周知』
B●『被曝者本人および2世に、あるいは3世まで何らかの形で公的な補償を確約する』
これら2つの面が両方必要と思われる。

A●の方法だけでは、差別は勿論、差別被害もなくならないし被害軽減度合いも少ない。
何故なら人間の生活や判断ってそんなに論理的にできてないからだ。
広島長崎の原爆被害では実に多くの人が2世代3世代にわたって差別に苦しんだ。

B●の方法だけでは、差別被害をお金に換えることで「傷口に多少の薬をつけて絆創膏を貼る」ぐらいの効果はあるけれど、人間お金だけが幸せの基準じゃないよね。
でも広島長崎の原爆被害ではこの補償が弱かったのではないかという反省もあり、今後もそうかもという危惧もある。A●とB●を両方やることで、ようやく差別被害軽減効果が多少あると思う。
が、A●は論者によっては「遺伝影響の確率はゼロではない」との主張もある。
またB●は「被爆者手帳を国家が配布することは国家が被曝影響(遺伝など含む?)を公認する」形で差別を助長する恐れがある。

ややこしくなってきた。
A●論は少数派だが無視できない数の支持を得ている反対意見がある。
B●を行うには「何らかの被害がある」ことが前提とならなければ補償に割く予算が不十分になったり人や地域によって補償が受けられないかもしれない。だからB●を進めたい人はA●の主張に易々と乗るワケにはいかない面がある。
AB両方なければ威力が少ないのに、Aを立てればBが立たない可能性があるのだ。
その上現在のネット世論は双方が互いを「呪いをかける差別主義者」などとウンコを投げ合っている。おちつけよ。

なのでぼくは提案したい。
A'●『科学的観点では遺伝影響が出る確率はゼロもしくは天文学的に低いが、にも関わらず多くの人は変わらず差別を行う。それは解消不可能である』と主張を現状に合わせて改変する。
B'●『被災県民のうち福島県にのみ特例として、原発事故について政府の不始末および国民の無理解に由来する社会的被害について公的な補償を被災2世場合によっては3世まで確約する』とする。
つまり「差別は否定し続ける。だが無くならない」と自覚しつつ、「福島県にかかる補償の根拠となる理由から放射能影響の文言を外す」この2点が必要なのではないだろうか。

これじゃ国家の予算を使いすぎる、というツッコミはあるだろう。

しかしちょっと乱暴に言えば「福島県に限ってだけは、大いにばらまきゃいいじゃん」とぼくは思う。
政府および国民には、今まで原発災害で起こる差別や社会的被害に備えてこなかった責任があると思う。
ヤクザの手打ちみたいで嫌だ、との意見は甘受する。

科学や政治には反対意見がつきものだ。しかも決着がつくまで恐ろしく時間がかかる。
差別論にいたってはその内容や論点は奇怪なまでに複雑になるので、精緻な議論に多くの人がついて行けないか、あるいは双方感情論、つまり喧嘩に終始してまともな議論が不可能だ。

でも忘れちゃいけない。
ぼくらはややこしい議論に決着がつくことを優先させるべきか? 違うだろ。
昔からあり、今も未来にもきっとある差別による被害を軽減するために現実的な方法を今から練っておくこと。
それが最優先されるべき、とぼくは思う。
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もし、このテキストが何かの参考に、皆さんが考える際のネタになれば、とても幸いです。
私は特に何の専門家でもありませんので、専門的なことを質問されたりつっこまれたりしても、あまり良い答えはできないと思いますので、その点すみませんがご了承ください。
また、私の考えに全く同意できない、あるいはお花畑に過ぎる、との意見も無論あるでしょう。それはそれでよいと思います。
私は誰かを教えに導くような立場にありません。
私は読んでくださった方が今後どのような考えに進まれるかはともかく、ただ思考し続けることのみを願っています。

文責:八的暁